日本管区の歴史~はじまり~

日本管区の歴史

日本の聖母被昇天修道会は1952年(昭和27年)に5人のシスターがフィリピン、スペインそしてイタリアか来日し、豊中教会の司祭館に住みながら、日本語の勉強をし、同時に学院設立に着手しました。

フィリピンを通して5人のシスター達が来日した理由は、第二次世界大戦中、当時の田口枢機卿がフィリピン滞在の日本人視察のためマニラの聖母被昇天修道会の修道院に滞在された折り、当時の両国間の厳しい関係にもかかわらず、そこで枢機卿様は明るく心温まるもてなしを受けたことや、シスター達の学校にみなぎっていた信仰と喜びお精神に心を打たれ、ぜひ日本にも聖母被昇天修道会を招き、学校の設立を願われていたことにあります。

終戦後、まだ敗戦の痛手から立ち直っていない時期でしたが、1950年、田口枢機卿は、当時のフィリピン管区の管区長、マザー・ローザに日本における修道院の創立を依頼し、その意向はパリ本部の総長に伝えられ、日本における創立が検討されていきました。そして1952年に上記に述べた5人のシスターの来日が実現したのです。

このように日本における聖母被昇天修道会の創立にはフィリピン管区の影響と助けがありました。 最初のシスター達は、フィリピン、スペイン、イタリアと3カ国からで、日本人の会員はまだおらず、言葉、習慣や食生活など全てが異なる日本の地で、困難を乗り越え、希望をもって新しい生活をはじめられました。

創立の頃